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児童精神科の歴史

 現在の国立国際医療研究センター国府台病院は明治維新の7年後の1875年5月に陸軍の教導病室として誕生しました。1885年6月に現住の千葉県市川市国府台で教導団病院となり、日中戦争の長期化が予想されるに至った 1937年12月国府台陸軍病院として神経症等の研究を目的とした特殊病院とする案が立てられ、1938年2月から精神障害者の収容を始めました。1945年8月の太平洋戦争敗戦を経て、同年12月に国へ移管され、精神科ベッドが半数を占める総合病院として国立国府台病院は再出発しました。

 1948年、村松常雄先生が国府台病院院長に就任し、精神科の一部門として児童部が始動しました。当時の国府台病院も国立として存廃の危機にあった旧陸軍病院であり、戦争神経症を扱うなど精神科専門であった病院を臨時的に拡大して総合病院にしたものでした。村松常雄先生は、建物も極端に荒れ果てた総合病院を復興発展させるためにも、国府台地区に国立精神衛生センターの機能を持たせる必要があるという考えでした。このような生き残り戦略の一つして、里見分院(現在の里見公園)の病棟を児童部として立ち上げ、高木四郎先生をその主任としました。ここから国府台病院の児童精神科の歴史は始まります。

 高木四郎先生は、1952年には精神衛生研究所の児童精神衛生部長にも就任されました。この時に、当時としては珍しい児童部に加えて医療社会事業部も設置され、国府台病院と精神衛生研究所の特徴として注目されました。この時のことを高木先生は「村松院長の命によって精神科内に児童病棟と児童相談室を設け、わたくしの他に1-2名の精神科医がその仕事を兼任し、ソーシャル・ワーカー1名を置いて、不完全ながら臨床チームを結成したのである。その当時、相談室で扱われる児童の多くは精神薄弱・てんかんであった。1952年、国立精神衛生研究所が国府台病院に隣接して開設されると同時に、児童病棟は病院に残し、児童相談室は研究所に移管したが、ここではじめて完全な臨床チームの手によって診療が開始されたわけである 」と記されています。

 また、高木四郎精神科医長のもとで児童部を担当していた菅野重道先生は、児童部の診療業務の一環として開設された相談室や病棟勤務 の傍ら、地元児童相談所や1951年学校教育法に基づいて新たに設けられた特殊学級などとの交流をもつなど、児童精神医療には欠かせない地域活動も積極的に行っていました。このように、児童精神科医療において、地域と繋がった多職種による臨床チームが重要視されるのは、子どもの資質のみを問題にするのではなく、幅広い視野で子どもを理解することが大切だからです。今より70年ほど前に、高木四郎先生は子どもを生物学的・心理社会的な視点を様々な職種によって持ち寄り、可塑性に溢れたひとりの人の成長を見守っていくという児童精神科医療の根幹を示されたと思います。

 国府台病院の児童病棟は、著しく手のかかる入院児のマンパワー不足、当時の精神科看護体制の諸問題など、病院経営上収支のバランスがとれない状態が続いていました。児童精神医療の社会的意義などにかかわることなく、その存続の是非が再三問題にされていました。そしてついに1959年から1960年にかけて児童病棟の存在が病院の経済上の運営に悪影響を及ぼすものとして縮小、廃止させられることになったのです。しかしこうして一旦外来診療だけに縮小された国府台病院精神科児童部は多くの方々の援助、協力もあって、1961年には精神科児童病棟を再び開くことができました。その後、1965年には児童精神科入院児のための国内初となる院内学級が市川市により設置されました。さらに、現在でも使用している児童精神科専門病棟と外来棟が、それぞれ1972年と1975年に設けられました。

 国府台病院児童精神科の設立に関わり、その後も支え続けてくれた高木四郎先生は、日本児童精神医学会(現在の日本児童青年精神医学会)の設立にも大きく関与されました。高木四郎先生が児童精神医学会を発足させたいと考え、1960年1月16日に東京一ツ橋の学士会館で発起人会をもち、理事14名が選出され、初代理事長は村上仁教授、事務所は市川市国府台の国立精神衛生研究所におくということで正式に学会が発足しました。日本児童精神医学会は翌日の17日、18日に東大理学部2号館の大講堂で第1回総会を開催するに至り、その後1982年には学会名を日本児童青年精神医学会と改名し、現在に至っております。なお2019年には第60回総会が開催される予定で準備が進んでおります。

 このように国府台病院児童精神科は、日本の子どものための精神医療に対する深い洞察と展望を持った村松常雄先生と高木四郎先生という名コンビのお骨折りのおかげで、1948年にこの国府台の地に誕生したのです。

 偉大な先人たちの残した児童精神科医療を、これらも国府台の地で続けていきたいと考えております。どうぞ、ご理解とご支援のほどよろしくお願い申し上げます。

 

参考文献)
・高木四郎 国立精神衛生研究所相談室の状況、児童精神医学とその近接領域 1(3);282?287(1960)
・村松常雄 わが国における本学会創立以前の前駆史的な事績と課題、児童精神医学とその近接領域 21(2);69-73(1980)
・高木隆郎 記憶の断片一『児童精神医学とその近接領域』 刊行会のことー 児童精神医学とその近接領域 21(2);106-110(1980)
・渡辺 位 学会創設と国立国府台病院児童精神科 児童精神医学とその近接領域 50(50周年記念特集号);62-64(2009)